会津 桐の博物館 オンラインショップ


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◆桐の歴史



桐材の利用は、日本では弥生時代(約2000年前)にはじまるとされ、登呂の遺跡からは小琴が発掘されている。

桐材は日本の木材の中で最も軽く、優美である上に、防湿性、耐火性があり、腐りにくく、音響効果を高めるなど、他の材に見られない特性を数多く持っているため、 人間社会とのつながりをもつようになった歴史は非常に古く、これを証明するものが正倉院の御物や東大寺蔵品の中に数多く保存されている。
たとえば上代の御神楽に用いられた和琴(ヤマトコト)は我が国固有の楽器で、仲哀天皇が熊襲征伐の際(西暦190年代)に奏されたと伝えられている。
また今日雅楽に用いる楽筝(琴)は仁明天皇の御代(西暦833〜850年)に渡来したもので、中国の秦の時代(約2000年前)にすでに使用されていたともいわれる。
そのほか、伎楽面、雅楽面なども欽明天皇から推古天皇の御代(西暦550〜610年)に中国から直接、または朝鮮を経由して日本に伝えられ、そのころから日本でもはじめて作られるようになったことが「日本書紀」に記されている。

このように桐材は上代から神社、寺院、宮廷の儀式に用いられる歌舞用器具にあてられ、20世紀の今日に及ぶもので、桐が皇室の紋章になっていることも、中国で瑞祥の木といわれる所以もうなずけるのである。

鎌倉時代になってからは武家の鎧櫃(よろいひつ)や刀剣箱に、貴族、富裕階層の社会では高級な調度品に用いられたが、そのころはまだ庶民の使用する域には至らなかった。

一般大衆の中ではじめて桐が使われはじめたのは徳川時代からで、長持ち、飯びつ、水おけなどの生活必需品として欠くことのできないものとなり、またそのころからようやく下駄が作られるようにもなった。
その後文化の進むにつれて桐材の使途は庶民の間で急速に広げられ、とくに、第二次世界大戦前までは桐の全消費量の約70%が下駄に向けられていたのである。

桐という漢字が用いられたのは、奈良時代初頭に編纂された「出雲風土記」に「赤桐、白桐」、「万葉集巻5」には「梧桐」が、記されている。ただ、これらの樹木が今日のどの桐に相当するかは意見の分かれるところである。
また、万葉集のおよそ150年後に成立した「新撰字鏡」には、梧と桐の字が挙げられている。これらの漢字には音で木名(梧と桐)が付けられているが、各々の木の特徴についての注釈が付けられていないため、現在のどの樹種に相当するのかはこの記載からのみでは判断できない。
ただ、正倉院の御物の伎楽面や琴類には、桐で作られた数多くの資料が確認されていることから奈良時代にはキリの入手がかなり容易であったことがうかがえる。


参考文献: 「キリ・ウルシ−つくり方と利用−」小野陽太郎、伊藤清三共著 農山漁村文化協会刊
「桐博だより第二号、桐の話−奈良・平安時代の資料に表れた桐について−」福島県立博物館 教育普及係長 松田隆嗣