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桐の博物館だよりVol.5

−平成10年8月1日発行−




◆大阪・葛井寺千手観音と桐


大阪市立美術館学芸員 藤岡 穣



 大阪府藤井寺市の葛井寺は、西国三十三所観音霊場の第五番札所として知られ、本尊千手観音は、霊験仏として今でも多くの人々の信仰をあつめています。
 国宝にも指定されている葛井寺千手観音は、天平彫刻を代表する作例であるばかりか、千手観音としては日本最古の違例とみられます。合掌手を含む頭体部の本体は、脱活乾漆(だっかつかんしつ)造り(心木に塑土を盛っておおよその形を作ったうえで、麻布と漆を交互に数層重ねて像容を形作り、最後に塑土を取り去って張子状にする技法)になりますが、像の背後に後光のように広がる千本の脇手は、本体とは別に作られていて、一本一本が桐製になります。腕と手のひらまでが桐製で、指は銅線で木 (こくそ)漆(漆に木屑を混ぜてペースト状にしたもの)を盛って作っていきます。また、台座の大部分はヒノキ製ですが、そのうち蓮華の蓮肉部だけは桐製で、轆轤(ろくろ)引きで作られていることが注目されます。
 ここで、日本の仏像における木材使用の歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。飛鳥時代には金銅像が中心でしたが、木彫像も作られ、それらはクスノキを用いることが多かったようです。法隆寺夢殿の救世観音像、中宮寺の菩薩半 (はんか)像などが代表的な例です。奈良時代になると、金銅像とともに脱活乾漆造りや塑像が盛んになり、いったん木彫像が姿を消します。木材は、現存遺品で見る限り、わずかに塑像や脱活乾漆造りの心木として用いられただけだったようです。しかし、奈良時代も後半になると、塑像や乾漆塑像、木心乾漆像が発生するとともに、純粋な木彫像も復活しました。ただ、木彫像の材料には、飛鳥時代と異なり、ヒノキあるいはカヤが選ばれました。というのも、檀木を用いて作る檀像を重んじる風潮が生じるとともに、ヒノキやカヤが檀木の代用材と考えられたからです。そして、平安時代以降は、日本の風土にも適合した木彫像が仏像の主流を占めるようになり、木材としてはヒノキやカヤ、地域によってはケヤキ、カツラ、クスノキ、サクラなどが用いられました。
 こうした日本の木彫像の歴史のなかで、桐を使用する葛井寺千手観音の存在はきわめて特異です。それでは、なぜ葛井寺像には桐が用いられたのでしょうか。葛井寺像の脇手は、現状では、蓮肉の後ろよりに左右二本の支柱を立て、その支柱に束にして取り付けられています。しかし、詳しく調べてみると、はじめは千本の手の少なくとも一部を脱活乾漆造りとし、本体の背中に直接取り付けようとしていた形跡が認められます。本体の背中が痛んでいることから、おそらく脱活乾漆造りの本体が手の重量に耐え切れず、途中で計画の変更を余儀なくされたものと考えられます。そうしたなかで、日本産の木材のなかでは最も軽い桐に白羽の矢が立ったのではないでしょうか。あるいは、千本の手を脱活乾漆造りとする煩わしさもあったかもしれません。一方、蓮肉に桐を用いることについては、轆轤引きと関係するのではないかと思われます。蓮肉は直径約一メートル、高さ約四十センチにもおよびます。轆轤引きするには、材を横に固定して回転させ、槍鉋(やりがんな)で削らなければなりません。そのためには軽くて柔らかい桐がもっとも適していたと思われるのです。
 桐は、日本古代彫刻では、伎楽面や舞楽面にしばしば用いられました。なかでも東大寺や正倉院に伝来する、天平勝宝四年(752)の東大寺大仏の開眼会に奉納された伎楽の木彫面はすべて桐製です。これら東大寺大仏の開眼会に用いられた伎楽面を製作した工人については、東大寺造仏所と何らかの関係があったことが指摘されていますが、実は葛井寺像も、その作風のうえからちょうど東大寺大仏の開眼会ガ行われた八世紀中頃、東大寺造仏所の工人によって作られたと考えられるのです。葛井寺は、寺伝に神亀二年(725)に聖武天皇の勅願によって開創されたと伝えられますが、実際には百済系渡来人であった葛井氏の氏寺として建立されたとするのが定説となっています。しかも葛井氏は、八世紀中頃、一族のなかから造東大寺司の要職につく人物を輩出しており、葛井寺像に東大寺造仏所の工人が関与していたことのひとつの裏付けとなっています。葛井寺像に桐が用いられた背景には、これらの事情、すなわち葛井氏や葛井寺像と東大寺造仏所、そして東大寺造仏所と桐製の伎楽面とのつながりについても考慮すべきかもしれません。
 さて、葛井寺像は、先にも述べたように現存する日本最古の千手観音とみられますが、単に古いだけではなく、千本の手を持つ姿をもっとも迫真的に、かつ美しくとらえた作例です。そうした卓越した表現を可能にしたのは、天平時代の工人の芸術的な才能もさることながら、彼らが脇手を本体から切り離すという大胆な仕様を採用し、そして何より桐という材料を選択したからにほかならないでしょう。




◆桐のはなし(三)

―キリの木の材としての性質―

福島県立博物館 教育普及係長 松田隆嗣




 キリの木の大きな特徴として、軽く、かつ熱や湿気を伝えにくいという性質をもっていることは、よく知られていますが、この軽くかつ熱や湿気を伝えにくいという性質は、いったいキリの木のどのようことに基づくことなのでしょうか。
 この木が軽いか重いかということを比較するには、簡単には、同じ大きさ、例えば1cm×1cm×1cm(1立方cm)の大きさのものの重さと比較するとよくわかります。この単位体積当たりの重さが重いものほど、重い木といえるのです。表−1に日本産主要樹木の気乾比重を掲げましたが、キリは日本産樹木の中で最も軽い材とされ気乾比重(平均)が0.30であり、最も重たいとされるイスノキと比較すると約1/3しかありません。一般的な木材と比較しても凡そ1/2〜2/3の値です。この比重が小さいということは、どういうことなのでしょうか。
 解りやすくいうと、単位体積に占める木材実績の量が少ないということです。例えば、同じ大きさの箱にワタをできるだけ軽くふんわり入れた場合と、ギュウギュウ詰めにいれた場合を考えてみるとよいと思います。
 つまり、キリの木が軽いというのは、木材の実績がふんわりと詰まった状態にあるためで、逆に重たい木というのは、木材実績がギュウギュウ詰の状態にあるのと同じことです。
 また、木材の実績がふんわりとつまっている状態というのは、言い換えると空気が多く含まれた状態とも言えます。含まれているといっても、導管・仮導管・木繊維・柔細胞などの木材組織を構成する細胞という小さな袋の中に含まれた状態となっているのが実際のところです。そして、このような小さな袋の中に空気が含まれた状態になっているため、軽く、かつ熱や湿気を伝えにくいという性質が生まれてくるのです。




◆[トピックス]新展示品紹介

国宝大阪葛井寺千手観音/パネル展示




 この度、大阪葛井寺森御住職のご好意と大阪市立美術館学芸員藤森穣先生のご協力により、当博物館において、現存する最古の千手観音像、国宝葛井寺千手観音像をパネル展示できるようになりました。
 脱活乾漆の本体の後に光背のように広がる千本の脇手の腕から手の平までが桐で作られています。また、台座の蓮華の蓮肉部分だけが桐製で、ろくろ引きまで作られています。
 千本以上の脇手をみごとにまとめあげた特異な造形を軽くして、湿気に強く、くるいの少ない桐材が可能にしたといっても過言ではないでしょう。
 気高く、慈悲に満ちた天平芸術の傑作を桐博にて御拝見ください。


木幡(こはた)の旗祭りで吹かれる「桐のほら貝」
福島県東和町幡祭実行委員会 高橋 蔵男氏寄贈




 桐の木直径10センチメートル、長さ60センチメートルの丸太の中をくりぬいて、中を火で焼き、吹き口に武センチメートル位をつけたものです。
 桐をくりぬいた「ほら貝」の「ほーろれろれろほれろ」との奇妙な音色は、幡祭本隊と権立よばりの市を確認しあうと共に、軍勢を励ます意味合いをもっています。


「木幡の旗祭り」
 木幡の旗祭りは福島県東和町で九百年の伝統を誇る祭りです。
 木幡山治隆寺の縁起によると、平安末前九年(1051)の役の戦いで、征夷大将軍源頼義とその長男八幡太郎義家らが、安部氏征伐のためこの地に来たときに、強力な安部軍に破れた。源親子がわずか数騎隊で逃れた。そのとき、野宿の夢枕に弁財天が表れ、「ここから一里ほどの弁才天宮に戦勝祈願せよ!」とのお告げがあり、早速弁財天宮に戦勝を祈願したところ、折からの雪で、木幡山の杉の木々がすべて源氏の白旗のように見えた。「今日こそは!」と攻めてきた安部の軍勢には源氏の大軍が立てこもっているかのように見え、慄然として、戦いに利あらず、と退散してしまった、と伝わっています。
 神仏の加護を信じる郷土の人々によって、源氏の白旗に見立てた旗を奉納する祭りとして九百年以上、引き継がれています。
 祭りは、12月の第一日曜日に行われ、桐のほら貝を吹き、色とりどりの五反の大幡を寒風になびかせて、うねうねと山頂尾根づたいに進む様は、実に華麗で壮観です。


日光御免下駄





江戸時代の日光社寺は、格式を重んじ、境内参入についてもやかましい決まりがありました。履物も草履を使用するのが原則でしたが、 石や坂道が多く雪の多いこの地方では不便このうえなかったので、草履の下に木の台をつけた「御免下駄」を用いていました。
 当時、御免下駄をはいて日光の町中を歩くと、どこでも無礼御免で通ることができたと言い伝えられるほどの格式の高い下駄です。
特徴
 下のほうが広い歯びらきになっていおり、安定感もあり、雪もつきにくい独特の工夫がされております。台木には、良質の桐やカワヤナギが使われており、その上に竹の子の皮で編み込んだ草履表で、麻で直接台木に縫い付けてあります。
 鼻緒は草履表に取り付けてあるので鼻緒の穴は、台の下に通っていません。




編集後記
 葛井寺の森御住職は桐に対してのご理解が深く、乾漆のご本尊の収蔵宝庫の内部を、桐の痛手二重三重にもおおわれ、温度や湿度から御本尊を保護なさっているそうです。
 大切な文化財を後世に残すべく、桐が活躍しています。
 これからも桐の特性を生かした作品と桐の可能性を追求して、みなさまにお伝えしていきたいと思います。