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桐の博物館だよりVol.3

−平成7年4月1日発行−


◆七弦琴と会津


東京大学名誉教授・東洋音楽学会名誉会長 岸辺 成雄



 日本で桐の楽器といえば筝(こと)ときまっています。ただ「こと」には筝(そう)と琴(きん)の二つの字があります。 筝は十三弦の「こと」で、日本の雅楽や筝曲に使い、琴は七弦の「こと」で、孔子の時代から中国にある琴楽の楽器です。 いずれも奈良朝に日本へ伝来しました。根本的に大きな違いがあります。 筝は一弦ごとに一つの柱(じ)を建てて音高を定めるのに対して、琴は柱を立てず、左手指で弦を押さえつけて音高を定めます。 今日、筝と琴の字が誤って混用されているのは、改めたいものです。「源氏物語」では、「きむのこと」と「そうのこと」がはっきり区別されています。
 琴(七弦琴)は平安朝末まで、上流階級でかなり流行していましたが中絶し、江戸時代のはじめに再び中国から伝わり、 文人墨客のあいだで行われました。昭和二年ラジオJOBK(NHK大阪)で放送されて以来再び絶えました。 戦後、私が駐日オランダ大使ファン・ヒューリック博士(東洋学者)に習ったのをはじめとして、七弦琴を弾ずる人が二十人を数えています。
 平成三年一月〜三月、福島県立博物館で「楽器の源流をたずねて――日本の音色」と題する企画展が催されました。 この中で、浦上玉堂(1745−1820)という文人画家が七弦琴を会津に持ち込んだことを紹介するコーナーがあり、 玉堂の作った七弦琴一張が展示されました。
 ついで平成六年四月〜六月に同博物館で、「浦上玉堂父子の芸術」と題する企画展が開かれ、浦上玉堂とその次男(文人画家、父の琴の弟子) 秋琴、長男春琴(文人画家)が、多数の書画と七弦琴四張によって紹介されました。私は療法の企画展に参与し、解説も書かせて頂きました。
 浦上玉堂親子三人の生涯については、その子孫の滝川清先生の「浦上玉堂――人と芸術」に詳述されております。 私は「楽道」誌に長く連載中の「江戸時代琴士物語」のなかに「風狂の琴士浦上玉堂」と題して六号にわたって(1993年6月―12月) 詳述しました。父玉堂は五十歳の時、岡山藩を脱藩して以来、琴をかかえて全国を流浪して歩きましたが、まず会津藩に招かれて、 雅楽や琴を教え、十四歳の秋琴を残して会津を離れました。 秋琴も早くから雅楽や琴を習っていたので、藩の雅楽方として召抱えられ、かたわら琴を教えました。 秋琴の弟子、阿倍祐順の「弾琴法相伝記」に、築瀬、丸山壽、山内皇斎、塩田牛渚、村井多久、武井阿亭、国井羽屯、 西村二鏡、常松菊畦、佐藤玄仲、塩田星平、阿倍鳳琴(祐順)の十二人の名があります。 有名な人は幕末の志士武井阿亭で、会津戦争に加わり、庄内戦争にも加勢し、庄内出陣の際、同藩典学寮のことを借用し弾じたことが、 庄内の記録にあります。(卑田浩雄「武井阿亭」、冬青支38号、昭和62年12月)。 国井羽邨(うそん)は、会津藩の飛び領、越後蒲原郡の羽榎(はがえ) (現在新潟県岩船郡荒川町字羽ガ榎)の豪商で、一つ峠を越えて会津若松を商用でたびたび訪れ、秋琴に琴を習ったのです。 幕末になって秋琴は郷里岡山に帰りますが、路銀調達のために、父玉堂遺愛の中国伝来の琴を五十両で羽邨に譲りました。 羽榎の近くの西條の豪農丹呉西鋳は京都に上って書や琴を修めた人で、頼山陽をはじめ多くの文人と交わった人です。 その遺愛の中国琴を私は見に行ったことがあります。 奇遇といえるのは、浦上玉堂の琴の弟子児島百一(岐阜の人)が、教徒から遥遥越後の羽榎を訪れ、そこで琴一張を作ったことです。 恐らく浦上秋琴を琴師とする国井羽邨を訪れたのでしょう。 百一は生涯に琴百張を作ることを志して百一と号したほどの愛琴家でした。私は百一作の琴を所蔵しています。 前述の福島県立博物館での企画展「浦上玉堂父子の芸術」に出品しました。
 さて次に琴の作りのあらましを申し述べます。
 全長120センチ前後、幅、東部で17センチ前後、尾部で12センチ前後、暑さ、5センチ前後、の小形の七弦琴です。 (第一図)桐の上板と梓の底板からなり、上板の裏面は頭部から尾部にかけてくってあり、細長い共鳴胴となります。 外面はすべて黒漆(稀に朱漆の上に黒漆)を塗ります。漆上には、前述の徽(き)以外何も飾りをしません。 琴の漆は骨灰をまぜた特殊なもので、約200年以上経つと文様上のひび割れを生じます。 断紋といい、梅花断、牛毛断、蛇腹断、裂泳断、流氷断などと名付け、琴の古さを表し、高く評価されます。
 第二図は裏面に「 天遊」の刻銘のある明朝の琴の蛇腹断です。 梅花断がもっとも尊重されます。表面に13の徽(き)があるのは前述の通りです。裏面には二つの長方形の響孔があけてあります。 竜池と鳳沼となずけます。円形のも稀にあります。その内部の左右に製作年号、製作地、製作者名を墨書してあるのが少なくありません。 底板を張りつける前に書くのです。胴の内部に、竜池の上方と鳳沼の上方に天柱・地柱という柱が上板と底板の間に立ててあります。 ヴァイオリンの魂柱に当るものです。糸は絹糸です。七弦すべて太細の違いがあります。 底板の雁足から表面にまわし、岳山のところで、組紐に結びつけ、組紐を心座を通して裏にまわし、小指大のシン(いとまき)にとりつけます。 シンをねじることによって、弦もねじれ、張力の微調整、すなわち音高の微調整をします。 右手指(小指以外の四指)で弦を弾き、左手指(小指以外の四指)で徽(き)を目安にして弦を表面に押さえて音高をきめます。 右手の指法が約30、左手の指法が約40あります。 それぞれの指法に名称があります。 琴の楽譜は各名称の漢字の画を略したものを複合し、弦名や徽名の数字を加えて一字に作り、一音づつの音符とします。 省略字の譜の意味で、減字譜と言います(第四図参照)。
 琴の音楽は、孔子の時代以来見を修めるための音楽といわれ、静寂を宗とします。楽器から生ずる音自体が大音ではありません。 昔の琴人は人里離れた山深いところに琴を抱えて入り、大石の上で一人弾じて楽しんだのです。 現代でもその神韻縹渺とした趣を愛する人がおります。私もその一人です。
 私は50年間、江戸時代の文人の琴を弾じた全国に探索し、約700人の名を探し出し、65張の琴を見て歩きました。 その結果を正派邦楽会の会誌「楽道」(げっかん)に平成5 年4月以降連載中です。琴と琴譜の資料の会津地方における所在について情報を頂ければ幸いです。


からくり人形(茶運び人形)




 この度、当館収蔵品であるからくり人形が一般公開される運びとなりました。
 からくり人形は、江戸時代に武家や公家、豪商たちが、宴客のもてなしに披露するために用いられ、もてはやされたものです。かわいらしい人形が、お茶を運んでくれるのですから、誰もが引き付けられてしまいます。
 頭の部分は、桐塑(とうそ)と呼ばれる桐の粉とふのりを合わせて固めたものでできています。また、からくりの一部には狂いの少ない切りいたが使用されています。
 製作は、数少ないからくり人形師である半屋春光(矢野光男)氏で、一人で制作活動を行っています。
 現在、国立博物館の研究員とともに、からくりの研究に余念のない毎日を過ごし、江戸時代の天才からくり人形師「からくり儀右衛門」になぞられています。
 そんなからくり人形が、まもなくあなたのもとにお茶を運んでくれることでしょう。どうぞご期待ください。
 実演時間(予定) 午前10時・正午・午後2時


桐の話(ニ)

−名前の由来について−




福島県立博物館 教育普及係長 松田隆嗣


植物あるいは動物は、和名、地方名、学名、英名などいろいろな名前を持っている。 これらの名前にはそれぞれ、その名前についての伝説や由来がある。 キリについて言えば、和名がキリ、学名はPaulownia Tomentosa Steudel, 英名ではPaulownia などである。
 和名の由来については、知っている方も多いが、この木は切るとその木の生長がはやいことからキリと名付けられたということによることが広く信じられている。 これは、寛永五年(1708年)に出版された大和本草に、「此木切レハ早ク長ス故ニキリト云桐ノ類多シ梧桐ハ青ギリ白桐ハツネノ桐ナリ」とあり、この説が広く受け入れられていることに由来している。
 しかし、もし、この説が正しいとするならば、キリという木の栽培が、かなり古くから行われていたことになる。 つまり、キリに関する記録の最も古いものは、前号で紹介した本草和名(918年頃)に 利乃 (キリノキ)と記載されており、この辞典ですでにキリという木の性質をよく理解し、そ の特性を生かした栽培あるいは半栽培を行っていたと推測される。
 実際のキリ栽培については、この木を切ったほうが良いとする地域と切るべきでないとする地域があり、さらに問題は複雑となる。「きり」と言う木には、 様々なきりがあるためいろいろな混同が起こっている可能性もある。キリの名の由来については、再度検討する必要があるかもしれない。
 キリを漢字で書くと「桐」であることは周知のことであるが、漢字の由来については字の成り立ちから考える必要がある。 漢字の成り立ちは、象形文字、指事文字、会意文字、形声文字、仮借文字、転注文字の六つの告字法がある。 詳しくは専門書に譲るとして、桐の字は、木編に同という旁がいたものであり、会意兼形声文字にあたる。 形声文字というのは、その文字の一部に発音を示す音符(あるいは声符)を含んだ文字のことをいい、桐の場合、旁の同(ドウ)がこれに当る。 同という字は、四角い板を表す 印のなかに丸い穴をあけて突き通したのを示し、筒抜けにしたことを表している。
 桐という字は、キリの木の幹の姿に着目して命名したものと考えられている。つまり、キリの木の幹は、筒のように真っ直ぐに伸びる姿をしていることによる。 又、洞、胴も同じように筒抜けといったことによる文字である。
 会意文字は、既成の漢字をいくつか組み合わせたものであり、その組み合わせている漢字はどれも意味を表している意符である。この例としては、比、好、林などがある。
 学名は Paulownia Tomentosa Steudel であるが属名の Paulownia はシーボルトが後援を受けたオランダの Anna Paulownia 女王(1795から1865) を記念したものである。 種名の Tomentosa は、密に細綿毛のあるという意味であり、葉の全面に粘りけのある毛が密生することに由来する。 Steudel は人名。

 大和本草 此木切レハ早ク長ス故ニキリト云桐ノ類多シ梧桐ハ青ギリ白桐ハツネノ桐ナリ 

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