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◆桐の博物館だよりVol.2

−平成6年8月1日発行−


箜篌(くご)と桐の関係

国立劇場参事・演出家 木戸敏郎


桐の博物館のコレクションのなかに「箜篌(くご)」という名の弦楽器がある。昨年の開館にあわせて、正倉院の宝物を復元模造したもの。原品は奈良時代の舶来品で、中国・唐(八世紀)の楽器である。

唐の絵画の中に、箜篌は随分たくさん描かれていて、その愛好されていた様子がうかがえるが、中国には実物は残っていない。日本の正倉院に残っている二張が壊れているとはいうものの、世界に類のない箜篌の実物である。
箜篌は文学にも登場する。唐の詩人「李賀」の詩に「李憑(りひょう)の箜篌の引(うた)」という作品がある。「李憑(りひょう)」は唐でも有名だった箜篌の名手で、中央アジアの出身だったようだ。引とは詩の形式のひとつである。漢詩には賦・行・歌・曲などいろいろな種類がある。韻の踏み方などが違っているが、日本人には判別が難しい。行や曲などの文字も日本語読み(訓)全部一括してウタと呼んでいる。

呉糸蜀桐(ごししょくとう) 高秋(こうしゅう)に張り
空は白く 雲を凝らし 頽れて流れず
江娥(こうが) 竹に啼き 素女(そじょ) 愁う
李憑 中国に 箜篌を弾ず
崑山(こんぜん) 玉砕けて 鳳凰叫び
芙蓉 露泣いて 香蘭(こうらん)笑う
十二門前 冷光を融かし
二十三糸 紫皇(しこう)を動かす
女媧 石を錬って 天を補(おぎ)のう処(ところ)
石は破れ天は驚き 秋雨を逗らす
夢に深山に入(い)って 神嫗(しんおう)に教うれば
老魚(ろうぎょ) 波に踊り 痩蛟こう 舞えり
呉質(ごしつ)眠らずして 桂樹(けいじゅ)に倚り
露脚(ろきゃく) 斜めに飛び 寒兎(かんと)を湿(うる)おす

名作であるから読み下しではあるが全部引用した。
この詩から唐時代の箜篌のことについていろいろのことがわかる。

〇呉糸と言うから、弦は絹糸であった。呉の国は絹の産地である。
〇蜀桐というから、共鳴胴は桐材であった。蜀の国は桐材の産地である。
〇二十三糸というから、弦の数は二十三本であった。
以上形而下のことだけでなく、この楽器は形而上の哲学も持っていた。
〇空は白く・・・空を流れる雲がしばらく流れを止めて聞き惚れた。
〇石は破れ・・・感動の余り天が破れて雨が降った。
こんなことが起こった原因は何であるか。
〇崑山(こんぜん) 玉砕けて 鳳凰叫び・・・つまり箜篌は鳳凰になぞらえられていた。(同じ弦楽器の筝は龍になぞられていた。)
これはその姿からの連想であるが、ひとたび形而上学が成立するとそのメタファーとして類似の現象が起こる。鳳凰は空を支配しているから雲も雨も同調するのである。

ところで、鳳凰の止まり木は桐である。桐と鳳凰はいつも一セットで登場する。
だから箜篌は桐材で作られているのである。




桐の話

 −奈良・平安時代の資料に表れた桐について−

福島県立博物館 教育普及係長 松田隆嗣



キリ(キリ Paulownia tomentosa Steudel, 以下キリとのみ記載)は、昔から琴などの楽器、箪笥、長持などの家具、建築の装飾材、京人形、面、火鉢、呑口、下駄などの用材として用いられるばかりでなく、その紫色の花が美しいことからウタに読まれると共に鑑賞のため植えられています。そして、材ばかりでなく桐の炭は粒子が細かいことから花火用黒色火薬の材料や眉炭に用いられ、芽や種子は食用あるいは薬として用いられたようです。また、キリは家紋としても広く用いられ、五七の桐の紋所は皇室の紋章としてもよく知られています。
このように、日本の文化や人々の生活、季節の風物など様々な形で深くかかわりをもってきたキリですが、その原産地については、不明な点が多く、韓国の欝陵(うるるん)島であるとする説や大分と宮崎の県境の傾(かたむき)山・大崩(おおくえ)山あるいは島根県の隠岐諸島に自生していたとする説など様々です。
現在、桐と呼ばれる植物としては、キリのほかにアオギリ科のアオギリ(青桐 Firmiana spimplex W.F.Wight)、トウダイグサ科のアブラギリ(油桐 Aleurites cordata Muell.Arg.)、クマツヅラ科のヒギリ(緋桐(あるいは唐桐) Clerodendron japonicum Sweet)、イイギリ科のイイギリ(飯桐 idesia polycarpa maxim.)、ウコギ科のハリギリ(針桐 Kalpopanax pictus Nakai)が知られています。アオギリとアブラギリは中国から、ヒギリは東南アジアから我国に持ち込まれたものとされています。
また、樹木ではありませんが、草本植物としてシソ科のシナノアキギリ(信濃秋桐 Salvia Koyamae Makino)など、桐という名を戴いた植物のあるのも興味深いことです。

桐という漢字がいつごろから用いられているかと言いますと、奈良時代初冬に編纂された「出雲風土記」には赤桐、白桐が、「万葉集 巻五」には梧桐が、記されています。ただ、これらの樹木が今日のどの桐に相当するかは意見の分かれるところです。
また、万葉集のおよそ百五十年後に成立した「新撰字鏡」には、梧と桐の字が挙げられています。これらの漢字には音で木名(梧(支〇之木)と桐(支利之木)が付けられていますが、各々の木の特徴についての注釈が付けられていないため、現在のどの樹種に相当するのかはこの記載からのみでは判断できません。
ただ、正倉院の御物の伎楽面や琴類には、キリで作られた数多くの資料が確認されていることから奈良時代にはキリの入手がかなり容易であったことがうかがえます。
「新撰字鏡」の約二十年後に成立した「本草和名」には、岐利之岐として、青桐、梧桐、白桐、綱桐の名が記録されると共に、それぞれに注釈が付けられています。その記載には青桐には茎皮青旡子と言う注釈から今日のアオギリであることが、白桐には三月花紫と言う記載から桐と名のつく樹木で花が紫のものはキリのみであることから、白桐はキリであることが解ります。
この「本草和名」は、古代の薬物書に当たるため、樹種名と原食物がかなり正確に記されていると考えられます。
「本草和名」の約二十年後に編纂された「倭名類聚抄」には、本草和名の記載をそのまま用いていると思われる部分が幾つか認められます。
また「枕草子」に記載されている桐もその内容からキリであることは明らかです。

奈良時代・平安時代の「きり」に関する記載を並べてみますと梧、梧桐、白桐など様々な文字が使用されていますが、「本草和名」以前においてはこれらの漢字が正確にどの樹木のことを指し示しているのかを認識した上で、漢字を使い分けていたのかどうかは疑問のあるところです。
このような例は、他にも見られ楠、樟もどちらも日本語では「くす」と読みます。どちらの木もクスノキ科の植物には間違いがありませんが、楠はタブノキ(Persea thunbergii Kosterm.)であり、樟はクスノキCinnamomum camphora Presl)であり全く別の樹木です。
しかし、タブノキのことをクスノキと呼んでいる地域もあり、樹木とその名称が地域によっては必ずしも正確に伝わらなかったとも考えられます。
キリについても、この楠と樟に見られるような混乱が生じていたのではないかと思われます。
古代の資料に現れたキリについての記述は、キリの原産地を考える上で重要なことといえます。 しかしこれらの記載からのみでは判断することは困難といえるでしょう。 ただ、近年、別の観点から研究が進み、少しづつですが古い時代のことについても明らかになりつつあります。 このことについては、稿を改めて明らかにしたいと思います。




ダンシンク・ドラゴン

螺旋工房 中里 絵魯洲



私の工房を螺旋工房と呼んでます。また、日月水木金土工作所とも呼びます。これは、わつぃの制作活動を出来る限り、ニュートラルな所に置きたいという、願望による命名です。
直線でもなく、大きな円運動から、小さな円運動へと導きながら、その弧は、ある方向性を作り出していくであろう、螺旋の運行に自身を当てはめたいと思うからです。
また、日、月、それは太陽と月に象徴される宇宙の摂理の下にあって、木と、金属と、土とを、水と火のエネルギーを借りて、造形行為が成立しているということなのです。
このたび、館長の庄司さんのご依頼により、ダンシング・ドラゴンを製作いたしました。桐を使うことが唯一の条件で、他は全て私に任せていただいたので、私にとりましては、最高の条件でプランを練ることが出来ました。
最近の私の仕事の多くは、キネティック・アート(動く彫刻)といいますか、からくり仕掛けになっていて、それを鑑賞者が手動で動かすことができるというものです。
作品に直接触れられるという、これ以上親密な関係をつくられることはないと思うのですが、こうした展示は多くはないと思います。これには問題があるからです。 人は千差万別、触れ方にも個人差があり、長期間の展示では、やはり損傷は免れませんから。 でもこの千差万別がおもしろいのです。私は密かに自分の作品に接する人たちを観察するのが楽しみになってきまいた。「ハンドルをゆっくり回してください」と注意書きがしてあっても、 このスピード感には正確が表れています。
 桐の材をこれほどたくさん扱ったことは、初めてでした。重量は楢材に比べて半分以下ですが、目は思ったより詰んでいました。肌にやさしい温もりを感じる木をしていました。
桐というと桐ダンスに代表されるように、綺麗な仕上がりの高級というイメージを強く持っていて、手を出しにくかったのですが、今回私の作品では、チェーンソーを使って、大胆に扱わせていただきました。
 私の好き勝手のため、取り付けの際には館のスタッフの方々の手を煩わせてしまいました。本当に感謝しております。
 ユニークな、この桐の博物館のなかにあって、私の作品がどういう市を占めていくのか、今後の評価を待つのみでしょうが、古今東西の標本のみが博物館でないことは明確ですが、発信基地としての役割も期待されるところです。
 龍は、宇宙を生み出す創造のエネルギーを象徴すると言われます。どうか皆様、この博物館ともども、ダンシング・ドラゴンを可愛がってください。


会津桐との出会い

雅楽器笙製作 柴垣 建男



 昨年七月、秋の桐の博物館オープンに合わせ、宮内庁楽部 楽長 多忠麿先生から、展示のための笙製作の以来を頂いたのであります。 多先生には、数年来、お心をおかけて頂いている一人として、正直にお答えさせて頂かねば、と受け止めさせて頂いたのであります。
 雅楽の発生は中国と聞き及んでいる。でも現実派、かすかに源を残すのみであり、より充実させているのは、正に私たちの身近にある。 私の雅楽との出会いそのものも、伝統を守り、代々技術の継承に努力されてきた、楽部の先生方のおかげである。
 「笙」という楽器は、百年も、時には二百年それ以上も生き続け、鳴り続けるものであり、名菅といわれるものも多く残されている。 戦前戦後を通して、素晴らしい笙を製作された方々が数名おられた。 その人たちは選れた竹があれば、日本中のどこであれ、探し求めて走り回った、という話をたびたび聞かせて頂いた。 素晴らしい楽器を生み残すには、この心しかない。私が今一番直面している課題である。
 文化の伝承、それは、その精神を受け継ぎ、追い着き、さらに追い越すことであると自らに言い聞かせている昨今である。
 笙は十七本の竹を立てる。その十七本をしっかり支えている部分を頭[かしら](漆仕上げ、時には蒔絵も施す)と言う。 直接息を吹き込むところ故、水気の吸収にすぐれた桐材がもっとも適しているとされてきたのである。
 五月十二日、桐の博物館館長、庄司氏と、喜多方でお会いさせていただき、素晴らしい会津桐で、頭[かしら]のくりぬきをして下さる職人さんをご紹介頂いた。 心から感謝申し上げる次第であります。
 笙ひとつ製作いたすにも、多くの人たちのご協力があればこそ。ありがたいことであります。




桐博トピックス−技術員六名、東博見学−




 さる五月二十九日、桐の博物館で受注、製作した、古代屏風収納箪笥搬入のため、投函の技術員六名が設置場所の見学もかねて、東京国立博物館へ行ってきました。 東博の注文収納庫ということで、発注から完成まで約六ヶ月間。材料の選別から製作まで、技術員の技能を一つにして、収納に関しては使用しやすいように、 仕上げに関してはより一層美しく見えるようにと、心をくばりながら製作してきました。
 技術員全員が、今まで東博を見学したことがなかったので、今回、このように見学する機会を与えられ、自分たちが製作した屏風収納箪笥が、 どのような場所でどのようなものが収納されるのか、見ることが出来るたことは、私たちにとってたいへん参考になることばかりでした。
 しかし、今回のように普通の箪笥の四個分と言う大きさは、私たちにとってもはじめての経験で、おおきなとまどいがありました。 材料選別の際は、思い通りの材が集まりにくく、また工場の機械を移動しながらのさぎょうでした。 特に箪笥の上下を変えるときや、仕上げのカンナを引くときなど、製品を傷めないように気を配りました。
 今、無事に仕事を終え、ひとつの大きな仕事を成し遂げたという充実感と、技術員全員が力を合わせて仕事をしたという満足感でいっぱいです。
 今後も、後世に自信を持って残せる仕事を通して、より自分たちの技術の向上を目指して生きたいと思います。