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◆桐の博物館の開館を迎えて

−桐博ニュース第一号より(平成5年10月29日)−

桐の博物館館長 庄司 喜郎

博物館を造るから手伝ってくれ、と言われたのは昨年の5月頃です。
長年インドで暮らしてきたせいか、腰痛が慢性化し、それを治療しているところでした。
私は十年前に桐の仕事をリタイアしたこともあり、初めは渋りましたが、最終的には引き受けることにしました。
最初は下駄を博物館を造るつもりで、数年前から準備を進めていたようです。その後「桐の博物館」でいくことになりました。他にはないし、桐のルーツを知ることは山久という会社にとっても参考になると思ったからです。
桐という視点から調べていくと非常におもしろくなってきました。長年桐にかかわっている人たちでさえ知らない事実が次々とでてきたのです。忍者が桐をいろいろなものに使っていたことや、今では滅びてしまったような楽器や、特殊な道具として使われていたことなど、驚くことばかりでした。
なかでも強烈な印象を受けたのは、東京国立博物館の法隆寺宝物室や正倉院などに保存されている200近い桐の伎楽面です。日本の国の幸せを願って建立された「奈良の大仏」、その完成を祝って、国始まって以来の盛大な祝典のときに使われた伎楽面。遣唐使を通じて中国の文化とその息吹きを、喜びとともに受け入れ、驚きとともに謳歌している人々の姿が目に見えるようでした。それは、私自身がインドで得た体験と奇妙にだぶっているようでもありました。
今回、浅井さんや澤田さんをはじめ多くの方々のご協力でこの伎楽面(呉女)が復元できたことは本当に感謝の念にたえません。ありがとうございました。
ひとつひとつの収蔵品、復元品について、それぞれ固有のストーリーがあります。できれば少しづつ、「桐博ニュース」で紹介していきたいと思っています。今回は浅井さんがすばらしい文章をタイからファックスで送ってくれました。
それから企画展(桐下駄)のために、潮田さんが「桐と桐下駄ものがたり」を書いてくれました。鈴木さんは、急遽からくり人形について一文を送ってくれました。
多くの方に応援していただいて、ようやく開館までこぎつけました。本当にありがとうございました。まだまだやらなければならないことはたくさんありそうです。今後ともよろしくお願いいたします。

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